徒手空拳TOSYUKUKEN

創作と日常雑記のブログです。いつもはらぺこ。

2015/04/19 - 02

僕は以前から、日常のささいな変化や、今日食べたごはん日記みたいな、見ず知らずの方のプライベートなウェブ日記(ブログ)が嫌いじゃないのですが、意外と「素人がどこ行ってなに食べたかなんて興味ねえよ」とかいう意見も根強く残っており、もちろん好みなので人それぞれだと思うのですが、それって、知ってか知らずか、人々の営みをコンテンツとして捉えているのかなという気がしています(もちろん、全ての事象は広義的にはコンテンツですし、メディアはメッセージですし、メディアはマッサージですが、ここでの定義は狭義としての「コンテンツ」です)。

確かに、ウェブに文章を投稿するという行為は、千本ノックに近いものだなと感じることもあります。特に、短文投稿サービスでは、「いかに文字制限内で、即時性があるお題に対してうまいこと言うか」という、ある意味大喜利化してしまう構造を宿命的に背負っているので、競技的だなとすら感じます。そういう意味では、ワイドショーのコメンテーターが時間内でいかに印象に残る言葉を選ぶかというのとベクトルとしては同じで(ネットには「コメンテーター」という揶揄語もあるくらいですし)、ただし、金銭的な報酬を得る芸能人と違い、承認・賞賛こそが報酬であるウェブの方が、上手に距離を取らないと、よりこじらせやすい性質も備えているのかなと感じます。まあ、ここら辺は鶏と卵で、こじらせているからネットに引きつけられたりもするのですが。ちなみに僕は後者です。ここら辺の話は、以前読んだ押井守監督の本にも似たような事が書いてあったと思います。

でも、この「うまいこと言った方が勝ち」というシステムは、穏健層の不可視化問題に直通していると考えています。要するに、丁寧な物言いや穏健な意見は注目されにくいという、ごくごく当然の話で、例えば、現状への異議申し立てをする側は、大声で触れて回らなければならず、あるいは喧嘩腰や皮肉まじりでないと誰も耳を傾けてくれなかったり(一部の少数派がしばしばノイジー・マイノリティ扱いされる問題はこれです)、また、ブログ記事をバズらせるためには見出し詐欺、矛盾やツッコミどころを残しておくべきといったノウハウまで共有されているぐらいです。そして、実利を取らざるを得ない立場があるというのも理解できます。

ここで一行目に戻るのですが、僕は以前から、日常のささいな変化や、今日食べたごはん日記みたいな、見ず知らずの方のプライベートなウェブ日記(ブログ)が嫌いじゃないのです。